リキッダリアンになって起こった変化。

完全なリキッダリアンではありませんが、
ほぼ、飲み物だけの生活をしていた時の、
体と心の様々な変化を書きます。

2020年4月現在、固形物を食べています。
ほぼ、リキッダリアンだったのは、
2017年から2018年くらいの約2年ほどです。

①肌がきれいになった
②1日中仕事ができた
③冷えなくなった
④夏、暑くなくなった
⑤感受性が豊かになった
⑥人の思いに敏感になった
⑦疲れなくなった
⑧暇になった
⑨家族とのたのしみがなくなった
⑩自分の楽しみがなくなった
⑪いつも幸せだった
⑫自然の中で暮らしたいと思うようになった

体や心の起こった変化を、詳しく書いていきます。

①肌がきれいになった

肌の内部までが透き通るほどきれいになりました。
まるで赤ちゃんの肌のようでした。

吹き出物、血管が浮き出る、くすみ、乾燥、
そういった肌トラブルがなくなりました。

味噌汁中心だった頃は、
→・肌の色が茶色っぽかったです。
 ・多少乾燥していました。

生野菜をジュースにしていた頃は、
→・肌の色は白から黄色
 ・シワもなく、シミも消えていき、透明感が抜群でした。

②1日中仕事ができた

やりたいことがたくさんあって、体がいくつも欲しい、と思っていたところ、リキッダリアンという食生活に出会いました。

食べ物を消化しなくて良いので、かなりのエネルギーが節約できました。

1日中休まず働いても、全く疲れませんでした。

家事、育児、をやりつつ、
早朝から畑の草刈りをして、昼間は真夏でも、真冬でも、畑仕事をし、
夜は子どものお世話をする。

全て1人でやっていましたが、疲れることはなかったです。
むしろ、やりたいことが増えて、眠るのがもったいないくらいでした。

③冷えなくなった

真冬の早朝5:00から、半袖で、外を走ってました。
恐らく、気温はマイナス2度を下回っていたと思います。
それなのに、半袖でも汗をかいていました。

走ってから家に帰った後も、午前中は半袖で過ごしていました。
室内の気温は、それぞれの場所の平均をとって、10度くらいだと思います。
古い家なので、暖房の設定温度が18度でも、その温度には達していなかったはずです。

④夏、過ごしやすくなった

夏はとても快適に過ごせました。
室外温度が40度近くても、真昼の太陽の元、畑仕事ができました。

脱水や熱中症でいつか倒れるんじゃ?と思いつつも、
むしろ自分の体がどこまで熱さに耐えられるか、挑戦していました。

脱水にならないか心配で、水分をちょくちょく摂るようにしていましたが、
水分を摂るほど、汗として出て行ってしまうので、なるべく水分を控えていました。

気温40度で水分を摂らないなんて、常識としておかしいと思いますが、それが事実です。

熱中症や脱水症状になるどころか、暑さにどんどん強くなっていくことを実感しました。

⑤感受性が豊かになった

私は元々、感受性が豊かな方です。
リキッダリアンになってから、もっと感受性が豊かになりました。

自然を見るだけで感動して涙が出るとか、
他人が無意識に発する意地悪な言葉が寂しくて泣いてしまうなどです。

良い面を見れば、
毎日が感動であふれていて、とても充実していました。
ネガティブな面は、家族の言葉に傷つきやすくなりました。
今まで傷つかなかった言葉に敏感に反応するため、家族が困っていました。

⑥人の思いに敏感になった

⑤と重複しますが、
人のそばを歩いているだけで、その人が持っているエネルギーや考え方が解しやすくなりました。

その影響で、人混みは避けるようになりました。

散歩をしていても、
人とすれ違うだけで、その人の持つエネルギーに影響を受けるので、なるべく人の近くを通らないようにしていました。

愛に溢れている人の作った料理は、見て分かりました。
おばあちゃんの料理がいかにエネルギーが高くて、元気になれるか、この時に実感しました。

⑦疲れなくなった

食べ物を消化するには、たくさんエネルギーを使うことが分かりました。

飲み物中心の生活になってから、疲れることはありませんでした。

2人の子育てと、赤ちゃんの授乳をしながら、真冬も真夏も畑仕事を1日中していました。

全く疲れないので、眠るのがとても惜しかったです。

起床時間は2時。
体操や勉強などをして、4時か5時には畑仕事を始めます。
その後、帰ってから家事や幼稚園のおり迎えをしました。
昼には畑へ戻って、1時間ほど仕事をする。子どもを迎えに行ったら、再び畑仕事をする。という生活の時もあります。

⑨家族とのたのしみがなくなった

食べることが大好きで、特に、家族との外食が一番の楽しみだった私。

家族との外食が楽しめなくなったのは、とても寂しかったです。

私だけではなく、家族もとても寂しそうでした。

家族と一緒に食事ができないことが、リキッダリアンをやめようと思ったきっかけに繋がります。

私にとっての幸せは何だろう?
リキッドだけで生活するととても快適だけれど、家族が幸せではないのなら、リキッダリアンは私にとっては幸せとは言えない。

長いこと悩みましたが、
家族と笑顔で過ごしたかったので、リキッダリアンを止めることを選んでいます。

⑩自分の楽しみがなくなった

食べない生活は快適でした。

だけど、食べる楽しみがなくなったのは、生きる喜びを失ったような感じもしました。

食べることが大好きで、食べることに喜びを感じていました。

その私から、食べるという好意がなくなった時、何を楽しみにして生きていけば良いか、分からなくなりました。

食べる時間がなくなると、時間を有効に使えるようになります。

むしろ、時間を持て余すようになったのです。

家族は食べることを選んでいるため、家族との生活の不一致も起こりました。

これも、食べることを選んだきっかけになったのですが、
生きる喜びを見直すきっかけにもなりました。

リキッダリアンは、どう生きるかを深く考える良いきっかけとなっています。

⑪いつも幸せだった

リキッダリアンだった時は、いつも幸せでした。

不安になることが少なかったです。

なぜ、いつも幸せだったかというと、
・何を食べようか迷いがなかったこと、
・腸の詰まりがなく、いつも体調が良かった
からです。

家族との幸せより、体調だけを考えるのであれば、
もう少し、リキッダリアンを続けていたように思います。

⑫自然の中で暮らしたいと思うようになった

なぜ、そう思うようになったかというと、

自然の中にいると、お腹が空かないからです。
きっと、お腹が空くのは、多くの場合、心の安定を求めるのだと感じました。

森の中を歩いている時は、何も食べなくても、永遠に歩いていられました。

でも、街の中を散歩していると、
帰ったらご飯たっぷり食べようと、思うんです。

きっと、街の中で、知らず知らずのうちに、いろんな刺激を受けてくるために、疲れるのでしょう。

森の中で暮せば、少ない食料で、ストレスなく暮らせる想像ができました。

綺麗な空気と、自然の叡智は、人間にとって、とても必要な要素だと、改めて実感しました。

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